「原点回帰」、「生成変化」

あなたと付き合う前の私について思い出してみる。わたしの中の全てがめちゃくちゃになっていた。たかいところから飛んでみることや、ロープで自分を吊るしてみることまで本気で考えていた。もともと、心に傷を抱えていたあなたと付き合いはじめたのは自らの罪滅ぼしのためで、あなたを幸せにすることでこれまでの自分の罪を贖おうとしていたのだった。時間は経過した。いつしか本来の目的はわたしの中でもっと矮小なものにすり替わっていっていた。わたしは何かを見失っていた。あなたは常にわたしから離れられないものだといつのまにか思い込んでいた。そして、わたしの定義による自己満足的な「親切」をあなたに押し付けるばかりになっていたかもしれない。そんな自分本位がわたしの今のあなたへの複雑な気持ちにつながっているのだろう。何事にも見返りを求めるべきでない。(ある人からの見返りという形のものだけでなく、善行に呼応し幸せがひとりでに訪れるという形の見返りをも指す。)見返りというシステム自体が内部に構造的欠陥を孕んでいて脆いし、そもそも、この世には「全くもって自己満足な行為でない」と言えるものは何一つないのだから。

むかし、あなたに、あなたのおかげでわたしは今ここに生きていると言われたことがあった。しかし、わたしも同様なのだ。あなたのおかげで今、付き合う前に比べ普通の生活を送ることができている。あなたを夢中で幸せにしようとした、いや、わたしの自己満足のために夢中で走ったことでわたしの雨はいつのまにか曇りへと変わっていたのだ。

あなたと付き合う前をわたしの原点として「原点回帰」をしよう。今のわたしと原点のわたしを比べてみよう。その時、きっとあなたへの「感謝」の二文字だけがわたしを満たすだろう。

・原点の取り方は任意である
・人の安定性を考慮する場合、原点は低く取るほどよい


《そんな風に考えるようなわたしもいる。
けれども、結局わたしという存在は刻々と変化してゆくことに変わりはない。だから、わたしは日記という記録に「今」のわたしを保存することで、わたしを「今」に回帰可能なものとし、痛みを緩和しようとしている。》

熱く-paradox-

熱くなれる。
あなたが彼にはじめてをあげた日、あなたは彼に強く抱きつく。優しくして。。。ベッドには数滴の血液。
こんな単純なことで熱くなれる。なんて易しいことだったのだろう。私も他ならぬ人間だったんだ。ただ、何をしようとあの日のあなたは戻ってこない。戻ってこないのだ。戻ってこない。それでいいのだろう。また無理やり別のひとと恋を始めたなら今までのことなんてなかったような矮小なものになってしまう。そんなことは百も承知だ。しかし、そんなことをして何になるのか。再びただ陰鬱とした日々が始まるだけではないのか。なんてparadoxicalなんだろう。そして、私はどうすれば幸せになれるのだろう。もう無理なのだろうか。なんにしろ、気持ちが大きくなって社会から追放される前に気持ちをかなぐり捨てなければいけない。そして希望を持って新しい地を求めようとしなければいけない。いや、社会から追放されたとしても一瞬を熱さからくるダイナミックな生で飾ることができればそれこそしあわせそのものなのかもしれない。

こんな私をやさしく包んでくれる救世主が現れてくれれば良いのに。

うそ、ほんと。

人はずっとうそをついて生きていくこともできよう。しかし、相手にうそをつき通しながら血の通った人間関係を築いていくことはできないだろう。ただし、“本当のことを言う”ことは人に自分の弱点をさらけ出すのと同じだ。自らの急所を相手に見せること。これは自らにとって致命傷をもたらしうる、勇気のいることだ。武装を解く、裸/性器を見せる。

君よ、気高い心を保ちながらも、時には大胆に武器を捨てよ。

思考停止が唯一の希望

好きなバンドのliveが近い。新譜を聴きながら思う。絶対に感動してしまう。絶対に会場で泣いてしまう。何年待ったliveであることか。でも、予定調和的な感じは嫌だから絶対に泣かないよ。絶対に。

ところで、食堂でたまに見かけるあなたに瓜二つの子がいる。初めて見たとき、ハッとして立ちすくんでしまった。なんとなくこの人となら充実感のある恋愛ができそうだと思う。(顔と仕草しか見ていないのに。それらで内面的な部分の何がわかるというのか。恋愛とはそんなものだ。そして、同一性とは時と場合によってころころと変わるものなのだろう。)とても声をかけたくなる。しかし、声をかけることは全てを混沌へと持って行くことを意味するだろう。美しいものは遠くで見ておくのが良い。それは真理だろうけど、私がどんな行動をしてしまうのかは真理というよりは、私の毒された心の赴く方向に左右される。恋愛なんていうものはそもそも真理と90度ずれた遠い彼方にあるのだ。